ペルー環境教育奮闘記。

青年海外協力隊 環境教育隊員としての活動記録とペルーの情報発信のためのBlog

カーニバルの街カハマルカ

北部でインカの名残があり、コロニアルな雰囲気が残る街カハマルカ。

 

クントゥルワシ博物館があるサンパブロから2時間ほどで到着します。

そののどかで人気なカハマルカを期待していたんですが、年に一回この街が変わるとき。

それはカルナバル(カーニバル)!

特に一日だけはペンキなどをぶちまける日が設定されています。

その日に移動だったんですが、サンパブロがのどかでゆっくりしすぎて祭りが終わった後に到着。

 

車もこんな感じに仕上げられていました。

街には祭りを楽しんだ人たちであふれかえってました。

おばさんたちもかけ終わってアルコール飲みながら街を歩いてました。

若者たちも楽しい祭りが終わった後!

 

 

自分がここに来た目的はカルナバルではなく温泉。

カハマルカには「インカの温泉」と呼ばれるインカ時代からの温泉施設があります。

ペルーにもマチュピチュ村などにも温泉がありますがここの一番人気なところは個室があるとこ。

 

海外の温泉はほとんどが野外にあり水着を着て入りますが、ここは個室なので自由に!

久々にお湯につかって快適でした!!

そして湯質がいいのか肌がめっちゃきれいになる!

外には温泉が湧いてます!!

いやこの温泉の感覚がわかるなんて、ペルー人は日本人に似てるのかもしれない!

 

翌日はカルナバルの行進。

アルマス広場にも人が一杯!!

ここはインカ帝国最後の皇帝アタワルパがスペイン軍に捉えられ幽閉された街。

幽閉された部屋が見ることができます。

そして、定刻より2時間遅れで行進開始。

インカの衣装などを着た市役所や学校などのグループが行進始めます。

太鼓などの音とともに行進します

そんな行進の最中に昨日の汚れを落とすことも。

ここからはいろんな仮装の写真です。

 

 

この衣装をどうやって作るんだろう??

ぬいぐるみをそろえて行進するグループも。

 

その行進を2時間ほど眺めて向かったのはクンベマヨへ。

カハマルカから1時間ほどのところにある奇岩がある場所。

 

 

こんな奇岩が並んでいます。

ここではBC1000年ごろに作られた水路があります。

ここは水路が2つあり、一方はアマゾンを経て大西洋にもう一方はペルーを通って太平洋に。

つまり南米の真ん中に位置し南米北部の飲み水のもととなっている場所です。

ここにはその時代に祭壇?として使われた石などがありますが、未だにどのような生活を送っていたかはわかっていません。

水路が交差する場所。

ここには岩に文字?のようなものが残されています。

これをみているとインカ帝国が文字を持っていなかったというのが謎です。

夜の夜景を見て無事ツアー終了。

 

カルナバル中だったので安宿が埋まっていて少しいいホテルに泊まったら、今回はカルナバルのお土産もらえました。

 

カハマルカ。コロニアルなのどかな雰囲気の残っているいい街でした。

 

ではでは

日本人が発掘した遺跡 クントゥルワシ遺跡

 

みなさん日本人が発掘をしたクントゥルワシ遺跡をご存知でしょうか?

この遺跡は東京大学の大貫教授が発掘し、紀元前1000年ごろから50年ごろにかけて使用された遺跡です。

 

その近くの街で起点となるのがサンパブロ。

チクライヨからチレーテ経由で到着します。

ただ雨季のペルー山岳部はこんな感じでした。

一応中心部なんですがね。。。

 

そこからモトタクシーで10分ほどのところにあるのがクントゥルワシ博物館。

日本の援助で作られ昨年20周年を迎えた村人たちが運営する博物館。

この博物館には青年海外協力隊文化財保護の職種で発見されています。

ここで、貯蔵品のレイアウトや保存に尽力されています。

Museo Kuntur Wasi - 当館について

ここに詳しい情報が載っています。

 

ここでは4期で構成される遺跡から発掘された土器などが展示されています。

この4期というのは各期ごとに出土品の特徴が変わっています。

更に遺跡はその期ごとに更新されて使われていたといわれています。

そしてこの博物館で一番の見どころが黄金の発掘品です。

遺跡のプラットホーム部から発見された、7つの墓から発見されました。

有名な14人の顔が載った金冠。

紀元前の時代にこんな金細工を行う技術があったなんて。

 

ボランティアが考案して展示方法を変えた展示。

遺跡の彫刻技術のすごさもわかります。

 

ちゃんと看板も出ていますし、おすすめです!

今なら日本語でのガイドも付いているのでお勧めです。

 

続いてはペルー文化省が管理しているクントゥル遺跡に。

ほんとうならここに大きな壁が広がるんですが、霧だけです。。。

こちらがペルーの記念硬貨にも描かれた石造のレプリカ。

この階段はユネスコによって2000年から3年あけて復元されました。

石造のレプリカも置かれているので実際の雰囲気がわかります。

薄目で見ていただければ壁が見えると思います。。。

壁にはちゃんと水路の形跡もあり、同じ時代であるチャビン遺跡と同じようにも見えます。

博物館の後に遺跡に向かうとよりわかりやすいです。

 

遺跡の地面にはこんなものが落ちています

これは土器のかけらです。

言わなければ気づかないけど遺跡なので地面に土器が一杯。

ガイドのおかげで知りました。

 

 

これは、ボランティアがデザインして作成して売り上げを伸ばすために作成したTシャツ。

裏にもプリントされていておしゃれです。

ぜひ行ったら買って見てください!

 

博物館の前にはホテルもあります。

部屋は広くてきれいで、晴れた日には山岳部のきれいな景色が広がっています。

 

2年間で初めてボランティアが活動している現場に行って、頑張っている姿を見てやっぱり刺激を貰いました。

自分よりも若いのに一生懸命頑張っているボランティアから刺激を貰うなんて。

残り少ない彼の任期も色々活動して、博物館の発展に尽力してくれることを願っています。

 

ではでは

プレインカ文化の宝庫 チクライヨ

今、ペルーで人気なのが北部のプレインカの遺跡の街たち。

 

その中で、有名なのがチクライヨ。

ランバイエケ州の州都です。

 

ここがアルマス広場にあるチクライヨのカテドラル。

イカのカテドラルは地震後に崩壊したままとなっているので、この綺麗なカテドラルは羨ましいですね。

 

しかし、ほとんどの観光地はチクライヨの周辺にあります。

まずは、20分ほどのフェレニャフェにあるシカン博物館。

日本人の島田教授がTBSの協力を受けて発掘を行った、黄金国家と呼ばれるシカン文化(ランバイケ文化)の遺跡から発掘された物を展示した博物館です。

800年ごろから1300年前まで存在したといわれるこの文明。

所謂プレインカ、インカ文明よりも古い文明です。

 

まずはこの発掘されたシカン王は下の写真のように貯蔵されていました。

逆さにつるされ首を切られた姿勢です。

そして、その王が被っていたのが下の黄金の仮面。

この仮面が飾られているのがTBSの部屋と呼ばれる部屋。

いかにこの文明の発見に日本が関係しているのかがわかります。

 

この博物館では他にも黄金の製造行程などがわかりやすく説明されています。

 

そして、チクライヨはペルーのほとんどの米を作っている地域といわれています。

おなじ砂漠地域に住んでいるのにここまで緑があるなんて。

 

そんな場所を抜けて着いたのはTucume。

何もない街が有名なのは、シカン文化の遺跡が広がっているから。

最近新しくなった博物館を通って遺跡を見ることができます。

そこで出土されたのが下の小さな人形です。

祭りの際につかれたといわれる人形です。

この人形に会うのは実は二回目。

ペルーに来る前の2012年。上ので開かれたインカ帝国展にこの人形が来ていて見たことがあったのです。

この時にはこの地に来るなんて思ってもいなかったので、すごく感動しました!

ぼこぼこの部分がシカンの墓で、実際は26個だといわれていますがまだまだ発掘途中でわからないところが多いそうです。

 

翌日はシパンツアーに。

シパンとは100~600年にあったとされるモチェ王国の最後の王といわれるシパン王の墓から見つかったとされる調度品を中心に回るものです。

 

まずはシパン博物館。

実際の墓(ワカ)が発見された場所の目の前にある博物館です。

 

そこではシパン王以外に発見された墓に関する物が展示されています。

遺体にはめられていたマスク。

実際の骨も展示されています。

ここでは宗教的なTOPが埋められていると考えられている人の調度品が飾られています。

 

そして、ここからが実際のワカ。

こんな砂山にしか見えないワカから発見され、黄金文化といわれるシカン王率いるモチェ王国のワカの発見は世界的発見だったといわれています。

ここでは実際に発掘された遺跡の場所が見ることができます。

ワランゴの木に詰められたのがワカにまつられる本人で、その周りには妻やリャマ。さらに関係のない子供などが埋められていたといわれています。

実際にはこのような形であったといわれ、ワカの部分とともに祭壇部分なども構成されていたといわれています。

 

そして、ランバイエケにあるシパン王墓博物館に。

ワカをイメージした近代的な博物館。

ペルー一の博物館ともいわれる博物館です。

中は写真撮影禁止なので写真はありませんが、シパン王の調度品が所狭しと並べられており、黄金をふんだんに使ったこの調度品は見所がたくさんあります。

 

そして最後はブルーニン博物館。

ドイツ人でチクライヨ周辺で発見された遺跡などに尽力したドイツ人に由来して作られた博物館です。

ここにもシカン文化で発見された黄金マスクが飾られています。

 

インカ帝国の象徴でもある儀式用のナイフ(トゥミ)もシカン文化の由来だといわれています。

良いガイドに恵まれたツアーでした。

最後にチクライヨ名物KING KONGにの店によって終了。

 

ペルーに来るまではペルー=インカでしたが、より古い文明にも非常に重量な遺跡が多くあり、ペルーは改めて奥が深いなと思いました。

 

このチクライヨの後に向かったカハマルカに関しては次回に。

 

ではでは

最終報告を終えました。

2013年の3月にこのペルーの地に到着をして、それから1年10か月。

 

JICA事務所向けの最終報告会が行われました。

 

勉強会などで忙しくてプレゼン資料のほとんどをリマに上京する5時間のバスで作り上げるという相変わらずの計画性。。

そういう「なんとかなる!」精神をペルーで学んでしまったのかな。

 

しかし、2年間を20分のプレゼンで発表するのは難しい。

あれもこれも言いたいけど言えない。。。

しかし、日本語で発表する機会も久しぶり。

緊張しました。

赴任時の問題点。それに向けた取り組みを中心に話しました。

 

ペルーのボランティアは赴任時は20名ほどでしたが今は50人にまで増えています。

いかにこの国にまだまだ援助が必要なのかがわかります。

 

パワーポイントを作っているときに2年間の思い出が色々詰まっていて、感慨深くなりました。

しかし、ほとんどの写真が笑顔だったのはイカのみんなの優しさだと思います。

 

ペルー家族も無事プレゼンを終えました。

パパは一足先に帰国しましたが、メールをくれました。

全員素晴らしい発表でした。

この家族がいたから切磋琢磨で二年間の活動を終えられそうです。

 

公私ともに支えてくれた4人のペルー家族に感謝です。

 

先日活動視察に来られた所長からもお褒めの言葉をいただき、無事プレゼンが終わりました。

 

残りの任期は無事帰国できるよう安全・健康に気を付けて、桜が咲いている日本に帰国できるよう頑張りたいと思います。

 

ではでは

目標達成!90人の先生たちへ!

久々の投稿になります。

 

リマに上京していたり、旅行に行っていてなかなか投稿できませんでした。

 

前回のブログで書いた勉強会を無事終了しました。

今回の講習会にはJICAペルー事務所長にも視察に来ていただき、非常に好評でした。

また、暑い中必死に質問してくれた参加者の皆さんにも感謝です。

講習会はなかなか自分自身のスペイン語が未熟だというのをわからせてくれます。

しかし、回数を超すごとに少しずつ慣れてきます。

先生たちに実際に自分が行ってきた講義に参加してもらって彼ら自身にこの授業を行ってもらえるようにしたいという思いです。

 

積極的な質問で彼ら自身が抱えている悩みや問題点も引き出すことが出来たのも収穫です。

先生だけでなく、施設や行政の問題も含めて学校教育を改善する必要がまだまだある国です。

 

今回の講習会に参加して、少しでも学校で始めてくれればうれしいです。

 

そして、無事目標にしていた90人の先生たちに授業を行うことができました。

予定していた3回の講習会では10名ほど足らなかったのですが、同僚たちが

「明後日もう一回やろう!今から先生をよんでくる!」

そういって先生を集めてくれました。

 

自分たちの仕事もあるのにこうして助けてくれる環境があるからこそ今のこの自分がいるんだろうなと思います。

 

 

笑顔でこの講習会を終われたことがよかったです。

 

そして、同僚たちはこの勉強会を継続してくれます。

 

14回の講義で市内にある約100校の公立校の先生方を集めて、4月から随時講習会をしてくれます。

自分はその時にはイカには居ませんが、彼らならきっとやってくれるでしょう。

 

あとイカでの生活も30日。

満喫します!

 

ではでは

 

教員向け勉強会はじめました

昨日から公立小学校・中学校の教員向けの勉強会が始まりました。

 

色々準備したし、これが最後の大仕事と思うと嬉しいようなさびしいような。

 

今月になり上司が変わって、彼女と仕事をするのは初めて。

なかなか剛腕な人ですが優しい人で色々助けてもらいます。

 

今回は4つに分かれ教育委員会の方と市役所からそれぞれプレゼンテーションをします。

そのなかでの一つのパートが自分の担当部分。

 

今までやってきた活動の例を紹介すること。

そした、各学校の先生方に今年からできることをプランにまとめてプレゼンをしました。

 

学校から選抜の5名の先生が参加してくれました。

普段は自分が片言のスペイン語ってわかっている同僚や家族と話すことが多いのですが今回は初めて会う人の前のスペイン語。

けど思いが伝わっているかな。

 

先生方との集合写真。

今回は修了書も配布したので喜んでもらえました。

自分が帰った後もカウンターパートや他の同僚たちがこういった活動を続けてくれることを確信しました。

ペルーではよく口だけのことがありますが、けど彼らなら大丈夫。

自分は何かを教えられたわけじゃないけど一緒に異国の人が何かをすることはもしかして彼らにとっては刺激になったんじゃないかなって思います。

 

そして、やっぱり日本人にとって先生っていうのは特別な存在。

けど、ペルーだと収入面からもいい職業とは言えないのが現状。

けど、このペルーの未来を担う子供たちを育てる大事な仕事だと思います。

そんなメッセージも加えました。

 

これであと一回の講習会を終えれば帰国準備・・・

とおもっていたら講習会の依頼を学校から受けたので3月までもう少し仕事をします。

 

常に同僚たちに行っていたのは

「俺はマスコットの客寄せパンダでいい!」

そう、外人がいることで人が集まるだけでいいなって思いました。

 

同僚たちが前日に改めて学校に行って忘れないようにアナウンスしてくれたり、人に支えられている2年間。

 

ではでは

秘書になればいいじゃん!

明日から教員向けの講習会が始まります。

 

そんなか前も書いていたキャンペーンも重なったり、新年の予算申請などで同僚たちは大忙し。

自分もできる限りの手伝いなんかをしていたんですけど、同僚たちの顔を見ているとそんなことお構いなしに忙しい。

もちろん、日本だったらもっといろんな時間(お茶したり、喋ったり。。。)を割く事はできますが、これが彼らのやり方です。

 

そうしたらいろんな書類がなかなか用意できず、自前で仕上げるのが早いと思ってスペイン語で書類を作って色々提出してここまでたどり着きました。

 

まずは参加者に配る講習会参加証。

苦手なパワーポイントで四苦八苦しながら作りました。

ペルーでは色々な人のチェックが必要で結局4人のサインが必要に。。。

抵抗した自分のサインも結局はしなくてはいけなくなりました。。。

印刷費用は教育委員会が持ってくれていいものができました。まだ配ってませんが。。。

 

そして、各小学校への招待状。

なかなか、教育委員会が動いてくれないので、もう強行突破のように作って教育委員会にハンコ押してもらいました。

さらに、最近大学生の実習生が市役所の手伝いをしていてその子たちが暇そうにしていたので、持っていってもらいました。

よくわからんアジア人にこき使われて嫌じゃなかったかな?

けど、色々手伝ってくれて、講義で使う材料とか用意してもらって助かりました。

彼らの実習に役立ってるのかな??

 

そんななか、自分も配布に行って、小学校で知らないことを発見!

イカの郊外のほうにある学校にこんな看板が掲げられていました。

この学校は、2007年の地震で崩壊した校舎を日本の支援で建て直していました。

 

意外に知らない日本のつながりを感じました。

 

そんな中、同僚たちから

「書類とか作るの早いから秘書になって市役所で働けばいいじゃん!」

といわれました。

イカは好きですが、日本には帰ります。

おいしいコメも食べたいし、お湯にはつかりたいし、正月はコタツで過ごしたいし、

けど、ここでの生活は50日ちょっと。

思いでいっぱい作って日本に帰ります。

 

その前に明日から講習会頑張ります。

 

ではでは